ABSフィラメントの反り対策
FDM方式(熱溶解積層方式)の3DプリンタでABSフィラメントを使用する場合、出力品の反りや積層面の割れは宿命とも言えます。この記事では、反りや割れが生じる原因を分類・整理し、一般的な対策方法を紹介します。
参考資料
反りのメカニズムが樹脂の性質とともに分かりやすく図解されており、また次項の文献が紹介されています。反りのメカニズムを理解する際に参考にしました。
nature3d.net反りのメカニズムが計算モデル化され、計算値と実験結果が比較されている文献です。反りのメカニズムのうち、熱ひずみが生じるまでの部分はこの文献の考え方をベースにしています。
https://re.public.polimi.it/retrieve/handle/11311/1048317/500049/RCIM-2018%20postprint%20%281%29.pdfフィラメントメーカー毎に、スペックが公開されているかどうかがまとめられています。反り対策でフィラメントを選ぶ際に参考になります。(比較表は有料記事)
note.com反り対策の1つに挙げてるドラフトシールドについて、原理を含めて詳しく解説されており参考になります。 note.com
出力失敗事例
FDM方式の3DプリンタでABSフィラメントを使用すると、次のような造形不良が起こる場合があります。
これはよく遭遇するトラブルですが、反り対策に設けたラフトごとプラットフォームから剥がれてしまうケースです。
ラフトの密着を改善して強固にした場合は、ラフトとモデルの境界が剥離したり、モデルそのものの積層面が割れてしまう場合があります。
ラフトもモデル本体も無事に出力できたとしても、プラットフォームが柔軟な3Dプリンタの場合は、プラットフォームごと反ってしまう場合もあります。
原因の分類・整理
反りや割れが生じる主な原因は、高温の樹脂が冷えて収縮する際に生じる熱応力です。その熱応力が生じるメカニズムは次の節で解説しますが、反りや割れに至る原因は多岐に渡るため故障の木解析(FTA)で整理しました。原因よっては対策方法が確立されており、リンク先に対策方法をまとめました。
┣ 熱応力
┃ ┣熱ひずみ
┃ ┃ ┣ フィラメント特性
┃ ┃ ┃ ┣ ガラス化遷移温度
┃ ┃ ┃ ┣ 線膨張係数
┃ ┃ ┃ ┗ ヤング率
┃ ┃ ┗ プリント条件
┃ ┃ ┣ 入熱側
┃ ┃ ┃ ┣ ノズル温度
┃ ┃ ┃ ┣ 積層ピッチ
┃ ┃ ┃ ┣ ノズル径
┃ ┃ ┃ ┗ 押出量
┃ ┃ ┗ 放熱側
┃ ┃ ┣ プラットフォーム温度
┃ ┃ ┣ エンクロージャ内温度
┃ ┃ ┗ ファンによる冷却
┃ ┗ モデル形状
┃ ┣ 構造による剛性
┃ ┃ ┣ 水平方向剛性
┃ ┃ ┗ 積層方向剛性
┃ ┣ 応力集中
┃ ┣ インフィル率
┃ ┗ インフィル形状
┣ 造形物とノズルの衝突による衝撃荷重
┣ モデル⇔ラフト接着面の積層方向強度
┃ ┣ モデル⇔ラフト間距離
┃ ┣ 樹脂吐出不良
┃ ┃ ┣ノズル詰まり
┃ ┃ ┗押出ギヤ摩耗
┃ ┗ その他プリント条件
┣ ラフト⇔プラットフォーム接着面の接着強度
┃ ┣ ラフト接着面積
┃ ┣ プラットフォーム凹凸アンカー効果
┃ ┣ プラットフォーム高さの校正、レベリング
┃ ┣ プラットフォーム表面の異物付着
┃ ┃ ┣ 油分
┃ ┃ ┗ ホコリ、フィラメントカス
┃ ┣ 樹脂吐出不良
┃ ┃ ┣ノズル詰まり
┃ ┃ ┗押出ギヤ摩耗
┃ ┗ その他プリント条件
┗ プラットフォーム剛性
┣ 熱応力(反りによる造形不良と同様)
┣ 造形物とノズルの衝突による衝撃荷重
┗ モデル内の積層方向強度
┗積層面の密着度
┣ 樹脂吐出不良
┃ ┣ノズル詰まり
┃ ┗押出ギヤ摩耗
┗ プリント条件
反りや割れが生じるメカニズム
高温でドロドロに溶けた樹脂が積層されると何が起きるのか、その現象を順を追って整理します。
- 積層済みの上面が周囲温度(エンクロージャ内温度)に冷やされています。
- 新たに積層された樹脂はガラス化遷移温度より高温です。樹脂はドロドロなので、この部位では熱ひずみは生じません。
- 積層直後に下層へ伝熱が進み、積層済みの層も再加熱されてガラス化遷移温度を超える範囲が広がります。
- さらに下層への伝熱が進み、ある時点でガラス化遷移温度となる範囲が最大となります。この時点でガラス化遷移温度域はまだドロドロで、熱ひずみは生じません。
- 最終的に、下層への伝熱と冷却ファンによる強制対流により、ガラス化遷移温度域だった範囲は周囲温度(エンクロージャ内温度)まで冷却されます。この範囲は、固化したのちにガラス化遷移温度から周囲温度まで冷却されるため、ガラス化遷移温度と周囲温度の差と線膨張係数に応じた熱ひずみが生じます。この範囲を『収縮領域』とします。
- 収縮領域はそれより下の層に拘束されているため、熱ひずみに従って自由に収縮することができず、熱応力が生じます。熱応力の大きさ・分布は積層面の大きさ・形状に影響を受けます。
- 収縮領域に生じた熱応力は、二次的にモデルとラフトの接着面や、ラフトとプラットフォームの接着面に作用し、反り方向の応力を生じさせます。特にモデル下面端部で反り応力が集中することになります。
- 1~7の作用が各層の積層毎に生じ、反り方向の応力が積算されていきます。
- ある程度積層が進んだ段階で端部の反り方向応力が接着強度を超え、プラットフォームからの剥離が始まります。あるいは、モデル自体の積層方向強度が弱い場合は、途中の積層面で割れが生じることになります。
- 端部のラフトが剥がれる、または積層面が割れることで、剥離部の熱応力が緩和されるものの、応力集中部が残りの接着面の端部に移動し、積層が進むたびにラフト剥がれ・割れが進行することになります。
- 最終的に広い範囲でラフトが剥がれる、または途中の積層面が割れて、反った形状で造形されたり、反りの影響でノズルと造形物が衝突し、造形物に壊滅的なダメージを与える場合があります。
一般的な対策
解説ブログやSNSで見かける一般的な対策方法をまとめました。
反りが小さいABSフィラメントの採用
フィラメントの物性値としてガラス化遷移温度が低く線膨張係数が小さいほど、造形時の熱応力が軽減されます。PLAと比べABSが反りやすい理由もこの物性値の影響です。「反りにくい」と宣伝されているものはこの物性値が改善されていると思われますが、物性値を含むデータシートを公開しているのは一部のフィラメントメーカーのみです。poly-makerは詳細な物性値を公開しているので紹介しておきます。
各種データダウンロード | Polymaker社製3Dプリンターフィラメント日本総代理店
また、こちらの記事ではフィラメントメーカー毎のスペック公開の有無がまとめられており、フィラメントを比較する際の参考になります。(比較表は有料記事です)
スペックシートのある良いフィラメントを探す PLA/ABS/PETG|はるかぜポポポ|note
造形物の保温
ガラス化遷移温度から周囲温度に冷却される際に熱応力が生じるため、周囲温度が高いほど積層中の熱応力が軽減されることになります。具体的には次のような方法があります。
- エンクロージャ付きの3Dプリンタを採用。
- ヒーティングプラットフォームの温度を上げる。
- 造形領域を断熱材で囲む。(ただし、高温によって3Dプリンタの部品が損傷するリスクがあり、夏場で室内温度が高い場合は断熱材を外す、など注意が必要です。樹脂製の冷却ファンのノズルが変形したり、ボーデン式の場合はテフロンチューブのワンタッチ継手部が痛んだりする場合があります。当方のテフロンチューブは、おそらく高温によるクリープが進行し、テフロンチューブが痩せ、ワンタッチ継手のツメが折れてしまいました)
- スライサーのドラフトシールド機能を利用。これは造形物の周りに壁を作って、造形物を保温する機能です。はるかぜポポポさんのNoteが参考になります。
インフィルの設定
モデルの水平方向の剛性が低い方が熱応力が緩和され、反りにくくなります。手っ取り早く剛性を下げるのがインフィルの充填率を下げることです。インフィル形状による違いもありそうですが、次回の記事で比較考察したいと思います。
ラフトのプリント設定
小さいモデルや水平方向の剛性が低いモデルであれば、スライサ標準のラフトを付けるだけでも改善します。問題になるのは大型造形物や水平方向の剛性が高いモデルです。
ラフトは上面側がモデル、下面側がプラットフォームに密着しており、それぞれの接着面に生じる反り方向の応力が接着強度を上回ると、モデルがラフトから剥がれたり、ラフトがプラットフォームから剥がれることになります。これらは次のプリント設定で改善できます。
- モデルとラフトの間隔を小さくする。(ただし、近づけすぎるとラフトからモデルを外せなくなる)
- ラフトのサイズを拡大、または角部など剥がれやすい部分にブリムを追加して接着面積を増やす。(プラットフォームから外しにくい場合はスクレーパーなどを使用)
- ラフトのパス幅・充填率を上げて接着面積を増やす。(プラットフォームから外しにくい場合はスクレーパーなどを使用)
プラットフォーム凹凸アンカー効果の改善
接着剤や塗装の分野で、物体表面の凹凸に液体が入り込んで固化することで強く結合する現象をアンカー効果と呼んでいます。船の錨のことですね。プラットフォームの接着力を改善する手法がいくつかありますが、ほとんどはアンカー効果で説明することができます。
- 凹凸(指で触ってザラザラしているぐらい)のあるプラットフォームシートを利用。(Adventurer3の標準プラットフォームシートが該当)
- 微細な凹凸があるプラットフォームシートを利用。(3Mのプラットフォームシートや、PEIシートなどが該当)
- プラットフォームにスティック糊を塗布。(プラットフォーム、ラフト間の微細な凹凸に糊が入り込んでアンカー効果を高める)
- プラットフォームに溶剤で溶かしたABSを塗布。(プラットフォームの微細な凹凸に液状のABSが入り込んでアンカー効果を高める)
高剛性プラットフォーム
様々な対策でラフト剥がれや積層面の割れを防いだ場合でも、造形物の剛性が高い場合は軟質プラットフォーム自体が反ってしまう場合があります。アルミ板にプラットフォームシートを貼付したり、カーボンプラットフォームを採用することでプラットフォーム自体の反りを低減することができます。
ABS高強度出力要領
モデル本体部分の積層面が割れる場合は、押出率の変更などで強度を改善できる可能性があります。こちらの記事を参照ください。
Adventurer3×ABSフィラメントで耐圧部品を作ってみた - いろいろ作るよ!
3Dプリント出力要領データベース ABS-Hydro-01 - いろいろ作るよ!
3Dプリント出力要領データベース ABS-Frame-01 - いろいろ作るよ!
まとめ
この記事では一般的な対策方法を挙げましたが、対策の定量的な効果については比較検証ができておらず、その優先順位については言及できていません。実際の対策においては、失敗した造形物をよく観察し、また出力した際の様々な条件を把握し、成功したケースと比較分析することが重要です。
造形サイズが極端に大きい、あるいは強度部材に使用するためにインフィル充填率100%にした場合などは、ここに挙げた対策でも不十分な場合があります。構造上の工夫で熱応力を緩和する必要があり、次回の記事で詳しく解説したいと思います。